~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~
中学一年の時、親友のH君に一羽のハトをもらった。モザイク模様の美しいハトだった。H君にはジュウシマツのつがいをもらって増やしたこともあった。でも彼の家に遊びに行って大きな鳩小屋を見たら、もうジュウシマツなんか子供だましに思えてしまった。そして頼み込んで、一羽わけてもらったのだ。
母親は怒ってそのハトを返してこいと言った。ボクがH君から無理矢理押し付けられたようなウソをついたからだ。申し訳ないことに、彼はボクの母親にさんざん嫌味を言われたが、ボクが頼んだことなど一言も言わずに黙って下を向いていた。そのうち怒り疲れた母親が「仕方ないわね」と折れて、ボクはようやくそのハトを飼うこととなった。
「ひと月ぐらいたったら放してごらん。上空をグルッと回って戻ってくるよ」H君にそう言われて、ボクはひと月待った。長い長いひと月だった。その日曜日の朝、ふとボクの心に疑念が湧いた。このハトは戻ってこないかもしれない……。
ボクはハトの足に長いヒモを結んだ。そしてヒモの端をギュッと握ったまま、ハトを放した。ハトは上昇して隣の家の屋根を超えそうになった。しかし途中でヒモに足を引っ張られて急降下してきた。ボクは慌ててヒモを放した。体勢を立て直したハトはちらりとボクを見た。哀れむような優しい目だった。そして十メートルのヒモをつけたままハトは飛び去った。戻って来なかった。
2、3日たって、ヒモでグルグル巻きになった血だらけのハトがH君の家の鳩小屋に戻った。ボクは自分がとても悪い人間に思えて泣いた。ハトを信じられなかった自分を恥じた。H君はその時も、今も一度もこの話をしない。ハトが彼の家に戻ったのは当たり前だ。
あの時、ちらりとボクを見たハトの目が菩薩のようで、今でも忘れられない。