~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~
四十四歳の若さで脳卒中で倒れた父は、国語の教師が利き腕で黒板にまともな文字を書けないという致命的なハンディを背負いながらも、ボクと母のために定年までがんばった。父が倒れた時に母から「高校には行けないかもしれない」と言われたが、事の重大さを理解していないボクはそれほど深刻に考えてはいなかった。しかし、父は違った。想像もつかない苦悩と努力の末、奇跡的な復活を遂げ、半身不随の身体で教壇に立ち、夫として、父としての責任を果たした。
右足をひきずりながら歩く父を見て「おまえの親父は昼間から酔っぱらってるじゃん」と言う友達に、中学生だったとはいえ「そうなんだ、ウチの親父に酒で勝てるやつはいないだろうな」と答えた自分を、その時から今までずっと恥じている。
入退院を繰り返した父が最後に入院していた病院は海辺にあって、自宅から歩いて一時間半ぐらいかかった。長くてもあと一ヶ月と言われていた日曜日、よく晴れていた。あと何回会えるのだろうと思うと早く会いに行きたいような、先延ばししたいような複雑な気持ちで、その日は車でなく、歩いて行く事にした。運動不足の中年男に一時間半の歩きは長かった。
病室に入ると口や鼻にたくさんのチューブを差し込まれた父が、うつろな目で天井を見ていた。半年前に進行性胃ガンが見つかり、あっという間にお決まりの肺炎になった。ボクは空がとてもきれいだと言い、歩き過ぎてヒザのうしろが痛いと言った。空を見せようとカーテンを開けると、父がうしろで何かうめいた。
「ひ、か、が、み」
「ん? 何それ? ノドが乾いた?」
「ひ、か、が、み」
二度同じ言葉を言って、父はぐったりとして目を閉じた。無知のボクは、父がボクに言った最後の言葉となった「ひかがみ」が、ヒザのうしろを意味する言葉だとはその時知らなかった。
先日ちょっと山歩きをしたらヒザのうしろが痛くなって、久しぶりに「ひかがみ」という言葉を思い出した。とても有り難い気持ちになって、まるでそこに父がいるかのように、ひかがみに触れてみた。