~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~
夏になると、陽の当たる花壇の中にポツンと立っていた真っ白な百葉箱を思い出す。カラカラに乾いたペンキがめくれあがった古い木造校舎を背に、その不思議な箱はあった。その用途も知らないのに、好奇心のかたまりのようなボクが、その中を覗いたことがない。その白さが保健室の一部のような毅然とした清潔感を漂わせていたからだろうか。蝉しぐれで視界も揺れる青空のしたで、その白さはとてもまぶしかった。
泳げなかったプールの帰りに、濡れた足を花壇の石に乗せて乾かした。うしろを行く友達の笑い声がボクをひとりにする。クラスのみんなの期待を裏切ってしまった。逃げることはないのに、でも逃げてきた。濡れた足の指のあとが焼けた石に吸い込まれて消えた。目の前には百葉箱があった。
ずっとそこにあるのに、ボクが百葉箱を見るのはいつも辛い時だった気がする。ごめんね。そんな時ばっかり。きっとあの箱の中には、ボクの嫌な部分がギッシリ詰まっているに違いない。
ボクが大人になってから、その中学校でクラス会をやった。十年ぶりの学校は相変わらずの古い校舎で、何も変わった所がなかった。みんなと会って懐かしくてうれしくて馬鹿みたいに笑った。家に戻ってから、そういえば百葉箱はあったかな、と思った。でも思い出せなかった。