~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~
かつてお正月の一番の楽しみは年賀状だった。深夜の初詣から戻って眠り、昼近くに起きるとまず郵便受けをのぞく。父は教師だったので、10センチ以上の厚みで生徒たちから年賀状が来る。仕分けするとボクに来る年賀状は父の10分の1もなかったけれど、母とはドッコイだ。この作業が楽しかった。
就職活動の時、某総合商社の一次試験は、今年来た年賀状を持ってきなさい、というものだった。大学卒を採用するのは学歴が理由ではない。日本中に広がる人脈の広さが理由だ、と人事担当者は説明した。さすがは世界のショーシャだと感動した。
ボクは個人的に年賀状はかかさない。相手が喪中の時にはクリスマスカードを出すことにしている。こちらが喪中の時は喪中用の版画を彫る。年賀状もできるだけ版画を彫る。会社では基本的に年賀状は出さない。ずっと壁に貼ってもらえるように、友人に描いてもらったクリスマスカードを出す。どんな時にも戦略は必要だ。
年賀状だけの付合いになってしまった友人はたくさんいるけれど、でも彼らは年を取らずに毎年一度ボクを訪れてボクの記憶を呼び起こす。携帯電話やメールが盛んになり、正月に洋食を食べる昨今、年賀状という習慣ぐらいはずっと大切にしたい。