2024.06.28

【第20話】不思議な快感

~ セイノーロジックス前社長、渡辺景吾が執筆したエッセイ「ゐねむりゑびす」から ~


庭いじりをして部屋に戻ると、石鹸で洗ったのにツメにまだたくさん泥が詰まっていた。楊枝で左の親指から順番に泥を取っていく。楊枝を左手に持ちかえて、右手の中指にさしかかった時、電流のような快感が走った。にわかにボクは古い友人Uを思い出した。

U君はその数日前から耳がよく聞こえなくなり、ボクが知り合いの耳鼻科へ連れて行った。待合室でマンガを読んでいると診察室からU君が赤い顔をして出て来た。ニヤニヤして何も言わない。何だ、気持ちの悪いヤツだな、どうだったんだよと訊くと「実はものすごい耳クソが詰まっていたんだ、ホラッ」

開いたU君の手の上に、どう考えても耳に入るはずのない大きさの黄色っぽい海綿のようなものが乗っていた。うわあ、どうやって取ったんだ?「ピンセットで引っ張りだしたんだけど、その時の気持ちのいいことと言ったら、全身に電流が流れるようだった。もう一回やってほしいなあ」ボクはこの時、U君がとてもうらやましくて、自分も耳クソを溜めようと思った。しかし、その過程においてどうしても我慢できなくなり、彼と同じ経験を味わえずにいる。ツメをきれいにする快感はたぶんこの何十分の一でしかないのだろう。

幼い頃、祖母の白髪を一本一円で抜いていたことがある。ジグモを引き上げる要領で、腹筋に力を入れて抜くとグッとちいさな音がして白髪はちぎれずに抜ける。黒髪を間違って抜いてしまうと一円返す約束だ。ボクがあまり稼ぐもので、祖母は逃げるように親類の家に行ってしまったが、あの時も似たような快感があった。

ちょっと違うだろうと言われるかもしれないが、ボクはカサブタをはぐのが大好きだった。何日かかかってようやく固まった膝小僧のカサブタをそうっとはぐ時の快感はU君にも判るまい。きっとこれは幼年期における危ういSM世界への入り口だったのかもしれない。他人のカサブタでも同じ効果があるのを知り、友人のカサブタを見つけては頼み込んで、時には五十円を払って、はがさせてもらった。

Y君、ゴメンナサイ。嫌がる君を押さえつけてカサブタをはいだことがあった。きっと今でも君の右ヒジには、無理矢理ボクにはがされたカサブタの痕が残っているに違いない。この際だからもうひとつついでに白状すると、寝ている君の背中にアゲハの幼虫を入れてつぶしたのもボクだ。まさか君があんなに狂ったように泣くとは思わなかったので言えなくなってしまった。Y君、君が中学の先生になったと聞いている。また会いたいような、会いたくないような。